およそ6年に渡るビートルズの初期を、時系列で追体験するドキュメンタリー『NO ハンブルク NO ビートルズ』から、予告編及び推薦コメントが届いた。
誰もが知る伝説のロックバンド、ザ・ビートルズ。ビートルズがリヴァプール出身なのは周知の事実だが、生前ジョン・レノンは、「僕らはリヴァプールで生まれ、ハンブルクで育った」と語っていた。本作は、1960年のハンブルク初訪問の経緯から、1963年の「プリーズ・プリーズ・ミー」のヒットを経て、1966年の6回目の訪問までを、元メンバーと関係者の証言やアーカイブ映像と音声、アニメーションなどを使って、まるで昨日のことかのように生き生きと蘇らせる。
<ダイアモンド☆ユカイ(ロックシンガー/俳優)>
ハンブルグ時代のビートルズの映像は誰も見たことがない。
当時ライブを見た人には、記憶の中にしか残っていない貴重な時代。残っているスタークラブのライブの音源と革ジャン&リーゼントの野性的な若きビートルズを撮ったユルゲン・フォルマーやアストリッド・キルヒヘルの写真から丁寧にビートルズの歴史をひもとくこの映画から、まだ無名の若きビートルズのエネルギーがどんなだったかを俺たちビートルズファンは想像するだけでワクワクしてしまう。
まさに、これこそ、日本の歴史、本能寺の変のように永遠の歴史ロマンだね。
<杉真理(シンガーソングライター)>
運命の糸の中継地であったハンブルグ、その経験が演奏力に繋がったのは知っていましたが、
それにも増して後にビートルズが見せるあの結束力は、壮絶なハンブルグ体験があったからこそだと、確信しました。
無防備な若造があんな危険地帯に放り込まれたら仲間と一心同体になるしか無いし。
そしてやっぱり若造のビートルズもカッコいい!
<川原伸司(レコード・プロデューサー、作曲家)>
ビートルズ史で語られるハンブルグのイメージは猥雑で混沌としていて、あくまで個人的印象だが60年代の新宿歌舞伎町に港町本牧が隣り合わせた様なイメージで捉えてしまう。しかしドイツ本国ではハンブルグは昔から放送、新聞を始めとしたメディアの中心地であり、多くのコンサートホールや美術館を有する芸術的文化都市としての側面が大きい。日本と同じ第二次世界大戦の敗戦国であるドイツのヨーロッパでは最大の港町であり、戦後間もない時期に反ファシズムから、実存主義者の若者達が引き寄せられるようにこの街に集まり、戦後の自由都市ハンブルグを築き上げる礎を築いたのである。ビートルズの四人もその空気を浴びることによって「自由」とは“好き勝手に生きる”ことではなく、“なりたい自分になり、言動、行動の責任を自分で取る”という、自由な生き方の本質をこの街から学んだのだろう。本能的で粗野だったロックン・ロールを、大衆芸術にまで高めた彼らの音楽的理想の原点がここにはある。
■『NO ハンブルク NO ビートルズ』予告編
12月6日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町、池袋シネマ・ロサ、アップリンク吉祥寺ほか全国順次公開